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大阪広告協会賞 受賞企業インタビュー

第2回に登場いただくのは、胃腸薬、目薬に始まり、最近では女性用の基礎化粧品など
多彩な商品をインパクトの強い広告で展開するロート製薬株式会社。
ロート製薬の広告についての考え方の変遷や海外事業と広告などについて、お伺いしました。

ロート製薬株式会社 嶋田一治・マーケティング本部 副本部長さま

高い情報感度と、考える力で
魅力的な商品広告を展開する

ロート製薬株式会社 マーケティング本部 副本部長 嶋田一治さま
1984年ロート製薬株式会社入社。2年間の東京営業勤務を経て、1986年広告部配属。
「クイズダービー」「SMAP×SMAP」の番組担当を中心に、主に媒体購入を担当。
2005年広告部長。その後4年間の広報・CSV推進室長を経て、
2015年より現職で広告の仕事に復帰。

商品・時代の変化を捉え、戦略的に広告・宣伝

伊吹先生御社は、現在大変多くの商品を展開され、広告にも力を入れてらっしゃると思いますが、一貫している広告手法はありますでしょうか。

嶋田副本部長初期は、「V・ロート」と「パンシロン」が2大商品で、この2つの商品広告が核でした。当時は商品数が少なかったこともあり、商品広告=ブランド広告となっていたと思います。今は多くの商品を展開するようになって、商品広告だけをしていると莫大なコストが必要になります。広告を打たずともブランドで支持されて店頭で売れるというのが理想ですが、試行錯誤をしているというのが現状です。

伊吹先生予算が限られている状況で、どの商品を取り上げるかを決める時の基準はありますか。

嶋田副本部長広告で売り上げが動くものと動かないものが、最近はっきりしてきていますね。顕著なのがスキンケア関係で、これは反応が良いです。一方、目薬は商品によって広告相関は高いのですが、それ以上に店頭価格の影響を受けやすいという状況があります。また、広告をやめても売り上げが急激に下がるということはなく、コンスタントに売れるということで、現在は広告費のうち約7割をスキンケア商品が占めています。
胃腸薬は、昔は他社様も含め、年末年始などは特に多くの広告を行っていたのですが、ここ10年くらいはほとんど広告をしなくなりました。

伊吹先生私が古いだけかもしれないですが、ロートさんといえば胃腸薬のイメージがありました。販売する商品が変化することで、広告も構造転換しているということですね。

嶋田副本部長1975(昭和50)年に、メンソレータム社(米国)より商標専用使用権を取得し、リップが圧倒的シェアを獲得しました。90年代は、各国の医療品販売許可の状況を確認しながら、目薬、リップの2大商品を組み合わせて海外事業展開を進めました。
国内ではその後、日焼け止めやハンドクリームなどの商品が次々とメンソレータムから派生し、以降も「肌ラボ」(2004年)など、20、30代の女性がターゲットのスキンケア商品が売れるようになり、若い女性に人気の雑誌やテレビでの広告が増えていきました。

伊吹先生メディアの選び方は、どのような考え方で進めておられますか。

嶋田副本部長当社は、時代ごとに1番マス的に効果のあるメディアで集中的に広告を行ってきました。当社の広告の歴史を振り返りますと、ラジオでの広告はとてもうまくいき、高い宣伝効果を上げていました。しかし、ラジオがうまくいきすぎていたことで、ラジオへの未練が捨てきれず、ラジオからテレビに覇権が移っていく時にテレビの枠取りに出遅れました。出遅れた分を挽回しようと社員が奮起し、日曜7時の「アップダウンクイズ」や土曜7時半の「クイズダービー」など人気番組の1社提供を勝ち取りました。当時最も人気が高かった土曜午後7時台で1社提供するようになると、V・ロートやパンシロンのケースに封入していたアンケートでも、テレビでの接点が圧倒的になっていました。
昭和50年頃には新聞とラジオの広告予算を全てテレビに回しました。大胆だと思いますが、“中途半端はしない”というやり方は当社の社風なのかもしれません。テレビ広告費の7割が1社提供で、3割がスポット広告。1社提供は時間帯の枠を買い取るため、視聴率が高ければスポットよりも効率良く広告をすることができるというメリットがありました。今もテレビ中心であることに変わりはありませんが、ネット広告が15%ぐらいまで上がってきています。

伊吹先生高い視聴率を取って、効率良く広告しようということですね。そうなると、高い視聴率を取りに行くため、ある程度番組へコミットする必要が出てくると思うのですが、番組に対してはどのようにコントロールしていたのでしょうか。

嶋田副本部長現在は、テレビスポット担当、雑誌担当など媒体ごとに担当が分かれていますが、当時は番組ごとに対応していました。私は「クイズダービー」を担当していましたが、収録には毎回立ち会いました。収録後も番組プロデューサー、ディレクターと反省会を開き、翌日は翌々週収録分の問題(クイズ)8問を吟味する構成作家の会議にも参加していました。病気などで行けない時も代理の人間に行ってもらい、当社の社員が100%出席するようにしていました。タレントさんとのチームワークを良くすることも、視聴率アップにつながるだろうと、タレントさんとも仲良くするように心がけていました。
同じく担当していた「SMAP×SMAP」でも、番組収録には必ず立ち会っていました。「SMAP×SMAP」の収録は、昼の12時から深夜27時くらいまでの長時間に及ぶものでしたが、腰掛けの気持ちで来ているわけではない、ということを周りに分かってもらうために、いくら収録が遅くなっても収録が終わるまでは決して帰ることはしませんでした。

伊吹先生立ち会いや会議の中で、何か発言されたりしていたのでしょうか。

嶋田副本部長気持ちは1人の作家・ディレクターのつもりで参加していましたが、スポンサーですので、指示を与えるような発言は控えていました。ただ広告効果を高めるには視聴率が大切なので、その点に主眼置いて、マンネリ化をふせぐための進言などをしていました。長寿番組は、マンネリ化との戦いでもありました。
「クイズダービー」は視聴率30%を誇っていましたが、当社の商品の幅が広がり、特に若い女性への訴求が必要になったこともあり、広告効果は次第に悪くなってしまいました。

商品イメージに合う将来有望なタレントを起用

伊吹先生ロートさんが起用されるタレントは、なじみが良く、親しみやすい人が多いと思います。最近では“天使すぎるアイドル”としてインターネット上で注目を集め、たちまち全国区となった橋本環奈さんをリップのイメージキャラに起用するなど、いわゆるネクストブレイクの人材を見事に見抜いて、キャスティングされています。キャスティングに関して、一貫して大事にしていることなどはございますか。

嶋田副本部長パンシロンは、植木等さんや渥美清さんなど庶民の目線に近いビッグネームを起用していました。この頃の渥美清さんは、「男はつらいよ」1作目を撮り終えたところで、ブレイク前です。目薬は、目の綺麗な方をキャスティングしてきました。
これまでに、内田有紀さんや、SPEED、KAT-TUN、小池徹平さんなど、当社でのCM起用後にブレイクしていった人は確かに多いと思います。契約も1年ではなく、3、4年と複数年で契約するので、本格ブレイク前の契約は当社としても恩恵は大きくなります。

伊吹先生起用したタレントさんたちとその後も関係性が続くということもあるのでしょうか。

嶋田副本部長タレントさんもブレイクのきっかけとなった場合は恩義に感じてくれているところがあるようで、今でも会えば「嶋田さん!」と声をかけてくれます。僕たちもCMタレントさんが、さらに伸びていくための援助は惜しみません。こういう姿勢は、番組担当として視聴率の向上を現場でやってきたこととつながっていると思います。

伊吹先生広告のクリエイティブに関しては、何かこだわりはありますか。

嶋田副本部長製薬会社ならでは強みとして、製品の効能や機能の訴求を重視するようにしています。化粧品に関しては、機能や成分の優れている点を薬事法に抵触しない範囲で印象に残るように落とし込む、ということに1番注力しています。特に基礎化粧品に関しては、そこが抜けると、どんなに今をときめく人を使いキレイに撮っても反応がありません。

伊吹先生CMやテレビなどで広告会社との接点も多いと思います。広告会社との付き合いのなかで気を付けていることは何でしょうか。

嶋田副本部長広告会社に丸投げにはしないようにしています。タレントを起用するにあたっても、こちらで希望するタレントをリストアップして、この人と契約できるようにしてください、という形でお願いすることが多いですね。タレントは芸能事務所からの推薦もありますが、「どんな人がいいか」というのは、人気の雑誌やドラマ番組をチェックするようにしています。KAT-TUNなどは、彼らが出演していたドラマをきっかけに興味を持ち、アイドル雑誌などを読んでKAT-TUNの潜在的な人気、将来性を感じてオファーしました。

伊吹先生人任にせずに自分で調べて、情報感度を上げてやっておられるということが分かりました。

嶋田副本部長今の広告部の情報感度の高さは、過去の反省の上にあります。「Cキューブ」のタレントに内田有紀さんを推薦したのは、広告部ではなく商品担当でした。最初に、内田さんの名前が挙がった時、広告部ではいまいちピンときていなかったのですが、内田さんの情報を集めたら若者に絶大な人気があることが分かった。自分の情報感度が悪かったな、と思いました。広告部は当時、年配者が多く、商品の幅が狭かった時はアイドルに詳しくなくても問題ありませんでしたが、幅広い商品を扱うようになったことで状況が変わりました。

伊吹先生トップの情報感度の高さが、全体に影響しているように思います。

嶋田副本部長タレント起用も含めて最終的には、トップのゴーサインが必要ですが、当社は社員が会長・社長と打ち合わせるのに秘書を通じて時間をとる、という必要はありません。会長室も社長室もありませんし、フロアの真ん中に席があるので空いている時間があれば、すぐ相談に行きます。手直しして2日目に再相談、というスピード感です。先に、書類を回しておく、とかそういうことも必要ありません。コピーもしっかり目を通して、打ち合わせにのぞんでくれます。

おしゃれへの気持ちは万国共通
ロート製薬だから、できること

伊吹先生御社は、アフリカに合弁会社を設けるなど積極的にグローバルな事業展開をされています。海外では日本と違い、知名度がないところからのスタートだと思いますが、どのように周知・浸透を図ってきたのでしょうか。

嶋田副本部長海外進出にあたっては医薬品の認可が下りた場合、目薬とリップ、許可が下りない場合はリップから販売するという形で展開してきました。
90年代に進出したベトナムや中国は、今でこそ経済発展を遂げていますが、当時は視力検査や目の検査なども十分に行なわれていませんでした。そこで当社は小学校や中学校を訪ねて視力検査などを繰り返すことで、知名度を上げ信頼関係を築いていきました。そういうサイエンス的なことをする一方で、リップなどおしゃれに関する提案も行いました。
参入当時、ベトナムは日本企業の生産拠点としては注目されていましたが、市場価値は評価されていませんでした。今ではベトナムやタイで日焼け止めがよく売れています。参入前は「東南アジアは日本人と比べると肌が浅黒いので、日焼け止めなんかあまり売れないのでは」という懸念があったようですが、おしゃれを楽しみたい、少しでも肌の状態が良くありたい、という思いが万国共通であることが分かりました。多くの企業が参入していない市場に先行して参入することはリスクがありますが、広告費も費用が少なくても大量に出稿できるなど事業を拡大する上でのメリットも大きいと思います。

伊吹先生どのタイミングでどこの市場に出て行くかもそうですし、広告会社にタレントのキャスティングを任せない、など常に情報感度を高くし、自分で考える力が身についておられる。企業として風通しが良くて、仲良くなる仕掛けがたくさんある一方で、情報感度が低いと置いていかれるというプレッシャーがしっかりかかっていることが、力になっておられるんでしょうね。特に、2回目の大阪広告協会賞の受賞はこういったトップと社員のご努力の賜物だと対談を通して分かりました。

嶋田副本部長ありがとうございます。会長、社長も情報感度がすごく高いので、私たちや若い世代がもっとそのあたりを意識して頑張らなくてはいけないと思っています。まずは「外に出なさい」と、両トップが口を酸っぱくして言っておりますので、現場で考える力は徐々についてきているという手応えは感じています。

伊吹先生グローバルの話から翻って、地元大阪、関西の広告界についてはどう思いますか。

嶋田副本部長関西で生まれて、関西で大きくしてもらった企業ですので、広告にとどまらず関西が元気になるようなことをやっていきたいと考えています。サッカーチーム「ガンバ大阪」の応援をはじめ少しでも大阪を盛り上げる意味でプラスになれば、という思いで取り組んでいるので、関西の企業の皆さまにも、同じような意気込みでやっていただきたいと思っています。
また、関西以外の地域の発展にも貢献したいという思いもあります。東日本大震災後は、震災孤児支援のための「震災復興支援室」を新設し、ロートの社員が、被災者、特に家族を亡くした子どもたちの支援に当たっています。これは、阪神大震災を経験した会長らが、震災を通して若い被災者に対する支援の必要性を強く認識しており、会社として支援すべきだと判断したことで、実現したものです。

伊吹先生広告だけでなく、いろいろなお話をお伺いできました。どうもありがとうございました。

嶋田副本部長こちらこそ、ありがとうございました。(了)